「頑張れ」と言わないこと どうしたらモテるか?について同棲して2年目の男が回答

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こんにちは。
takeslideです。

このブログは同棲ブログと銘打っているわけですが
そもそも恋人がいる人が少数派になっている現状があるのです。

ソースはこのあたり。


愛の形も幸せの形も人それぞれです。
結婚なんてしなくても子供がいなくても自分で自分を認められるならそれで幸せです。
でも自己肯定するのはなかなか難しいもの。
自分のアラにばかり目を向けてしまいがちです。

恋人がいないことが「当たり前」の時代であるにも関わらず
恋愛至上主義は未だ健在です。
恋愛というテーマは経済を動かすからです。


恋愛をしてみたい、恋人がほしい、同棲がしたいのであればその目標に向かって行動してみませんか?
自分を磨く「努力」によって恋人が出来るかといえばそうでもありません。
ですから必ずしも努力は必要ないと思います。


ただし出会いの総数を増やす努力と、出会った人から好かれる総数を意識することが効率的であることは間違いありません。


コレに関して私の中に1つの哲学があります。
その話を書きたいだけの記事です。
既に幸せな同棲をしている方は別の記事を呼んでいただきたく存じます。


「頑張れ」を言わない相手というステータス

「頑張れ」「頑張ります」「頑張ろう」
すべて私が嫌いな言葉です。
「頑張る」とは偽善的で抽象的で自罰的だからです。


「頑張る」ことが良いことでしょうか。
頑張ることイコール良いことと人々が思っているのはなぜですか?


毎日学校に行っているだけでも凄いことです。私は毎日学校に行くことはできませんでした。

毎日仕事に行っているだけでも凄いことです。私はすぐに最初に入った会社を辞めてその後フリーターをしています。
ニートになったのも一度ではありません。
それでもいまきちんと納税をして勤労をして愛する人と過ごしています。


「これ以上何を頑張る」のですか?

「頑張る」ことは抽象的

もっと具体的になにをどうするのか言うべきです。

サッカーがうまくなりたいから頑張ります!ではなく、サッカーの試合で相手に勝ちたいから走り込みを増やします!の方が明確です。

これからこの会社に入って精一杯頑張ります!ではなく、早く仕事を覚えられるようにわからないことは復習し、質問をたくさん致します。の方が絶対にわかりやすいですよね。

頑張りますは日本的であいまいです。
目的がはっきりしていないしやる気がないと感じます。

「頑張る」ことは自罰的

なぜなら「頑張る」イコール「反復練習」「技術の向上」ではなく、「消耗」だからです。


頑張ることはへとへとになるまで走り、クタクタになるまで働くこと。
つまり「頑張れ」は応援ではなく相手に消耗しろと言っているということ。
「頑張り」を評価する日本式システムは「消耗」してもへこたれないストレス耐性チェックと、上の言うことを素直に聞く人間を育てているだけです。


しかし、パートナーを探す上ではこれを逆手にとればいいと私は考えます。
世間の「頑張り」賛歌を上手く利用するのです。

すなわち「いつも頑張ってるね」「でも頑張りすぎないでね」
あるいは「そんなに頑張らなくても大丈夫」「二人のときは頑張らないことにしよう」
の4つの魔法の言葉を相手に与えればよいのです。


「頑張る」ことが当然に良いとされる社会で頑張りを評価してくれる人は、自分にとってとても価値があります。

また、「この人の前では頑張らなくていい」と相手が感じたらその瞬間にあなたは特別な人になるのです。
だってそんな人は周囲にあなた以外誰もいないのですから。

「頑張れ」という追い込み

頑張っている人を応援することは果たして良いことでしょうか。
いや、必ずしもそうではないはずです。


頑張っている人に「頑張れ」と言うのは追い込みです。
重荷を背負わせて更に走らせようとする行為です。


その追い込みをやめ、相手の重荷を取り除くこと。
それが真の意味でのモテポイントです。
この方法は容姿に関係なく使えます。
容姿でモテなくとも結婚できる夫婦は世界中にいくらでもいるのです。

パートナーを認め、話を聞くこと

「頑張ってるね」「でもそんなに頑張らなくても大丈夫だよ」
この言葉を掛けてくれるのは本当に希少な人物です。
まじめな人であればそれは尚更。


同棲してからもこれは同じです。
仕事をしていく上で大変なことはいくらでもあります。
残念ながら「頑張ら」ざるを得ないときもあるかもしれません。

そんな時消耗したパートナーを認め、受け入れるのはもう片方のパートナーの役目。
それさえできれば二人の居場所はそこに永遠にありつづけるのです。

人は幸せでいていいのです。
幸せで居るべきです。
日本の憲法にも以下のように明記されています。

日本国憲法第十三条

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

頑張って消耗しなきゃいけないなんてことはありません。
自分自身の心の声をよく聞きましょう。


なぜ頑張らないことが良くないように感じられるのか

それはすなわちイデオロギーの問題です。
高校現代文でも頻出の単語ですからきいたことがある方も多いハズ。

人間の行動を左右する根本的な物の考え方の体系。観念形態。「―は社会的立場を反映する」。俗に、政治思想。社会思想。


「頑張ることはよいこと」
「頑張らないことはよくないこと」
という日本の常識はイデオロギーの一種に過ぎません。

世界のどこか違う国に済んでみるとよくわかります。
毎日を誠実にいきることは努力をしないことではないのだと。

頑張らなくても「努力」をすることは可能ですし「上昇」志向を満たすことは可能です。
つまり自分の好きなことに時間を割けばそれは「努力」であり「向上」です。

好きなことをして幸福になればいい。
消耗することは長続きしませんから賢いやり方ではありません。

頑張ることを応援するパートナーと一緒にいたら消耗しませんか?
だってこれから毎日その人といるのです。
嫌になりませんか?
仕事で消耗しているのに家の中でも消耗するなんて笑

だからこそ「頑張らなくても大丈夫」がモテる

ここまで読んでくれたかたには「頑張る」と「努力」の違いがわかりましたよね。
頑張ることは消耗することで努力は楽しいこと。


それを理解した上で毎日頑張って消耗している人に「いつも頑張ってるね。でもそんなに頑張らなくても大丈夫。」と声を掛けてみましょう。

ついでに「ご飯をたべにでも行こうか」って流れに持っていくことが出来るように慣ればあなたは立派な「モテ」人間。

恋人ができたら同棲しましょう!

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